書評『もうモノは売らない』

これは本ではない。あなたが最短距離でマーケティングを学ぶためのマニュアルだ。

素晴らしいアイデアがごみ箱に捨てられ、ひどいアイデアにかなりのリソースが割かれるの何度も見てきた著者、P&Gやコカ・コーラといった世界を股にかける企業でマーケティングに携わってきた著者が記した”最短距離でマーケティングを学ぶためのマニュアル”です。

内容

著者の経歴

裁判官を父に持つハビエル・サンチェス・ラメラス氏はスペインで生まれました。大学の卒業後、弁護士になりますが一年ほどで弁護士の仕事に熱意を失います。そして弁護士を辞め、MBAを取得。MBAは様々な面で著者の人生観を変えたといいます。

問題の規定やさまざまな解決法の評価、そしてよりよい意思決定の方法を教えてくれた。その知識はビジネス以外にも応用が利いた。私は自信を持ち、精神的な強さを手に入れ、人としていくらか成長できた。

MBA取得後P&Gに入社、1969年にはコカ・コーラ社に転職。北ヨーロッパのマーケティングディレクター兼バルト諸国スウェーデン支社長、アトランタに移りマーケティング担当副社長、その後ラテンアメリカ、そしてヨーロッパのマーケティングを統括。現在はロンドンに拠点を置くトップライン・マーケティング・コンサルティングを創業し、CEOを務めています。

マーケティング人生です。この書籍の最後の一文が、著者のマーケティングに対する思いを表しています。

マーケティングは最高の仕事だ。

人は恋をするのと同じように、ブランドにも恋をする

著者によると人は理性ではなく、ほとんどが感情によって判断を下しているといいます。

誰と結婚するか、なぜ家や車、あるいは服や時計を買うのかといった、重要な決断は感情脳が下している。

ブランドがなければ、それは単なる製品。大切なのはブランドに恋をしてもらうこと。そうすれば人に対して恋をしているときと全く同じことが起こる、と著者は言います。ブランドとはマーケティングによって製品に結び付けられる価値であり、それが欲望を生み出すそうです。

性能の高さ、食品のおいしさなど理性脳に働きかける方法では、ブランドではなく製品の話になってしまいます。効果的なマーケティングは常に感情脳に語り掛けます。

では感情脳と理性脳の両方に働きかけては?それでは簡潔性や信頼性が失われ、ほとんど成功しないそうです。

ただし注意しないといけないのは相手の感情脳に訴えかけてマーケティングを行うべきですが、マーケティングを行う側は理性脳で判断しないといけません。価格は安いか?製品は好ましいか?デザインは?ラインアップは?これらに対しては合理的なマーケティングの精神が答えなければなりません。定量化や測定が可能で”だと思う”、”かもしれない”といった言葉をはさむ余地はほとんどない、と著者は言います。

リサーチ

抑えておくべきマーケティングのリサーチを5つ挙げています。

  • プレリサーチ
  • トレンド調査
  • 追跡調査
  • 予測調査
  • 人類学

そして”正しい質問をすること”、”変数はひとつに絞る”等リサーチでの注意点が述べられています。

印象に残ったのが、”消費者からインサイトは引き出せない”ということです。消費者に”あなたは何が欲しいのですか?”と聞いてはいけないということです。自動車の育ての親、ヘンリー・フォードの言葉が引用されています。

顧客にどんなものが欲しいかと尋ねていたら、速く走れる馬だと答えただろうね

マーケティング工場

マーケティング部門の多くはテーラーショップ、18世紀の仕立て職人の工房のような組織になっているそうです。明確なプロセスが存在せず、親方が部門の仕事の進め方を自分の考えや性格、仕事のスタイルに沿って決めています。こうしたタイプの組織には利点もありますが重大な欠点も多く、正当化することはできない、伝統的な職人の生産方法にならうことはない、と著者は言います。

そしてテーラーショップではなくプレタポルテ(既製服)の工場、マーケティング工場でプロセスを最適にすることを勧めています。すべてのプロセスと主な意思決定者、主要なタスクごとの納期を紙に書きだすことから始まり、具体的にどうしていくのか、書籍では記述されています。工場型にすることで…

意味のない議論をなくし、チームの協力体制を作れば、想像力を発揮するための自由時間を確保できる。

この考えはマーケティングに限らず、色々な仕事に応用可能ですね。

誰に語り掛けるか

どのようなブランドにも成長と衰退があります。若者に売れるブランドがありました。しかし若者もいずれは年を取っていきます。徐々にそのブランドを購入する平均年齢が上昇していきます。そしてブランドも老いていきます。これは誤ったターゲットグループを選ぶという戦略選択のミスの結果だと、著者は言います。

マーケティング投資に対する長期的なリターンを最大化するには、将来の消費者をターゲットにすべきだ。

顧客獲得戦略と頻度戦略という2つの戦略がでてきます。顧客獲得戦略は現在顧客でない人たちに対して種をまくことです。これはコストがかかり、即座に売り上げに反映されるわけではありません。頻度戦略は”ボーナスパック”や”二個購入したら一個無料”などで、既存顧客の購入頻度を上げます。こちらは即効性がありますが、しかしそれは罠でそれを続けると売り上げの落ち込みが避けられなくなるそうです。

苦しいときこそ顧客獲得に頭を使う、ことをポイントの一つとして挙げています。書籍ではこの”マーケターが語りかける相手・タイミングについて”、全部で8つのポイントが挙げられています。

顧客との対話

著者は頻繁に”感情脳”ということばを使うくらい、人間の脳の働きを意識しているようです。脳の働き方を踏まえたコミュニケーションをとるように指摘しています。

コミュニケーションの冒頭は脳を立ち止まらせ、意識させる必要がある。だが同時に、その続きは脳が読み解きやすいシンプルなものでなければならない。

脳をメッセージにつなぎとめるために以下のアドバイスを上げています。

  • シンプルにする…テキストは三行以内
  • メッセージは左から右へ

ターゲットと有意義な関係を作るために”キャラクターを作る”等の9つのルール、シナリオ術について”シンプルに”等の5点、挙げられています。

新しいメディア

新しいメディアを見過ごさないように注意しています。

新しいメディアが登場すると、利用法さえ知っていれば新たな人々にメッセージを伝達することが可能になる。

今までのコンテンツの一部を借りて広告を載せ、強制的に閲覧者の意識に割り込むというやり方はもう古い、と著者はいいます。

今では人が自分が目にするものを選ぶことができ、見たくないものは見ません。そしてこの傾向が今後さらに重要性を増していくといいます。コンテンツを中断する広告に付き合ってくれない、ブランドや製品はコンテンツの中に組み込まれていくだろう、と言います。

そして自社のメディアチャンネルを立ち上げ、ブランドに関係した面白いコンテンツを配信することを勧めています。ここではレッドブルを成功例として紹介しています。

価値と価格

各章の始まりでは有名人の言葉が引用されているのですが、”価値と価格の関係性を知り尽くす”という章ではウォーレン・バフェットの言葉が引用されています。

価格とは払うもの、価値とはあなたが手に入れるものだ。

価格と価値について、非常に分かりやすい説明です。

価値を売り上げに変えるにはどうするか、プライベートブランドの脅威、高級ブランドの特異性などの説明がなされています。

マーケティングは最後

マーケティングは大切ですが…

まずは製品。性能が一番である必要はないが、品質が消費者の期待を満たしている必要があります。マーケティングの魔法で一回目は購入してもらえるかもしれませんが、製品が悪ければ二回目はない。消費者に不満を抱かせただけ。

次に製品の価値と価格。

その次は購入しやすさ。必要な場所で購入できるか?適切なサイズか?

そしてマーケティング。

感想

筆者の経験から紡ぎだされたマニュアルです。マネージャーのミスを減らし、著者の経験から学んでもらうために作ったパワーポイントの資料がこの書籍のスタートだったそうです。試行錯誤を重ねながら学んだ、極めて実務的な内容が書かれています。感情脳に働きかけるために、ブランドを育てるためのマーケティングを行い、その効果を正しく測定する。

現在のグローバル化した世界では技術力の差はさほど大きくありません。国境をまたいだ拠点で、ローコストで高品質な生産を行うことが可能になったことにより、マーケティングの重要性はますます高まっています。

コカ・コーラという商品、多少は味が変わるかもしれませんが、似たようなものは他社でも簡単に作れます。そしてもっと安く販売することもできます。書籍の中でもプライベートブランドは脅威として書かれていました。にもかかわらず長い間コカ・コーラは売れ続けています。

私たちはコカ・コーラという商品を買っているのではなく、コカ・コーラというブランドを購入しているようです。そのためにコカ・コーラは多大な予算と労力をつぎ込んでいます。

この書籍はマーケティングの本(マニュアル)ということでマーティングを仕事としている人には役に立つことは間違いないと思います。特にP&G、コカ・コーラといった大企業で世界を股にかけてのマーケティングはそうそう簡単にできることではありませんので、そこでの経験を知ることができる貴重な書籍です(ただしP&G、コカ・コーラともに大衆向けの低価格な商品が主であることは前提としてありますが)。

この本を読むことで…

もしあなたがゼネラル・マネージャーなら、マーケティングの原則に関する知識を深め、意思決定プロセスを明確化し、それによってマーケティングに対する投資利益率を改善することができる。

ではマーケティングの仕事をしていない人には必要ないかというと…ある意味マーケティングは誰にでも必要なものでもあると思います。全ての人が日々マーケティングを行っているともいえる気がします。自分という商品を売り込むために。

  • ハビエル・サンチェス・ラメラス (著), 岩崎晋也 (訳)
  • 東洋館出版社